2007年07月02日

夏の風物祭だった



   那 古 野 神 社



 延喜十一年(911)に創建され、昔は天王社又は亀尾天王社ともいい、城内の三の丸に鎮座された社である。

 天文元年(1532)那古野合戦の際に、兵火にあって焼け、同八年織田信秀により再建された。
その後秀吉、家康の寄進を受け、慶長の名古屋城築城の際、家康は神意を伺ったところ、遷座不可とあって、城の鎮守神、府内の氏神として崇敬してきた。

 明治維新に際し、須佐之男社と改めて、明治九年(1876)現在地に遷座した。
そして明治三十二(1899)年に那古野神社と改号した。

 例祭日は七月十六日で、この日車楽を曳き出し、夏の城下町名古屋の、風物祭りであったそうです。



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この記事へのコメント
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神社ってこんなに何度も名称が変わるものなのでしょうか?
それともこれはここに限ったことなのでしょうか?
Posted by ぢぢばば at 2007年07月02日 13:52
 どういたしまして。

昔は寄進をする人の意向で、名称が変わったらしいですよ。
でも記録にのってない場合ガ多く、このようにハッキリしているのは珍しいんだそうです。
Posted by 太閤錦 at 2007年07月02日 15:02
 

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