2009年07月10日

最期は私が看取る

   良 寛 の 恋  (最終回)         工藤 美代子著 

 ★危篤の知らせ

 良寛が頑なに庵の戸を閉め切って人と会わなかったのは、病気が進み起きているのも辛かったと思はれる。
一方自分の病気が見舞いに来た人に伝染するのを恐れていたともいわれている。

 いったい良寛はどんな病気だったのか、下痢などを繰り返していたらしいので、大腸がんだったであろう。と。
いよいよ、良寛の容態が悪化したので、おそらく木村家の人が「良寛危篤」の知らせを弟の由之に送ったのだろと。

 注目すべきは、このとき同時に貞心尼にも使いがいっていることだ、妻同様の扱いだ。
貞心尼はあくる日に木村家にかけつけた。
しかし弟由之は3日後でなければ行けないと手紙を送っている。

 危篤の兄にたいして悠長な返事に思える。
一方貞心尼は一途だった。
しんしんと雪の降る中を、ひたすら歩きそして走って良寛の元に駆けつけた。

 良寛はひどく喜び歌を詠んでいる。
「いついつと まちにしひとはきたりけり いまはあひ見てなにかおもはん」
 あなたを待っていたのだと、とにかく貞心尼に会いたい良寛の本音がはっきり出ている歌である。

 どうやら貞心尼は腹を決めて木村家に乗り込んだ。
「この人の最期は私が看る」と。

 たった独りで生きて来た良寛が、そのその末期のときを迎えて、若く美しい女性に妻同様の愛情を
注がれていた事実にこころがが温まる思いがすると、著者は記している。


                「天保二卯年正月六日」74歳でご臨終。

 良寛の辞世の句の一つ。

 『形見とて何かのこさむはるは花山時鳥あきはもみじ葉』
     ・・・・・良寛さま、安らかにお眠りを・・・・・


       今日の花






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