「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」

今「愛知の文学」という本を読んでいる、これは古典文学から近代文学まで、愛知の地域と関わった作品が紹介されている。
その中で夏目漱石『三四郎』の面白い一節があるので紹介します。
 熊本の旧制高等学校を卒業して上京する大学生小川三四郎は、汽車で女と乗り合わせる。

しばらくすると「名古屋はもうじきでしょうか」という女のこえがした。
・・・中略・・・
 「そうですね」と言ったが、はじめて東京へ行くんだからいっこう要領を得ない。
 「このぶんでは遅れますでしょうか」
 「遅れるでしょう」
 「あんたも名古屋へおおりで・・・」
 「はあ、おります」
    この汽車は名古屋留まりであった。
・・・中略・・・

 次の駅で汽車が留まった時、女はようやく三四郎に名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内してくれと言いだした
一人では気味が悪いからと言って、しきりに頼む。三四郎ももっともだと思った。
けれども、そう快く引き受ける気にもならなかった。なにしろ知らない女なんだから、すこぶる躊躇したにはしたが、断然断る勇気も出なかったので、まあいいかげんな生返事をしていた。
 そのうち汽車は名古屋へ着いた。

・・・中略・・・

 《おんなは後からついて来る、もう十時は回ってる、三四郎はぶらぶら歩いてただ暗いほうへ行った。女はなんとも言わずについて来る。比較的さびしい横丁の宿で如何かと女に・・・結構だと女、思い切って入った。》

・・・中略・・・

 ぎいと風呂場の戸を半分あけた。例の女が入り口から「ちいと流しましょうか」と聞いた。
三四郎は大きな声で「いえたくさんです」と断った。しかし女は出て行かない。かえってはいって来た。
そうして帯を解きだした。三四郎といっしょに湯を使う気とみえる。別に恥ずかしい様子も見えない。

 三四郎はたちまち湯船を飛び出した。

・・・中略・・・

 蚊帳の向こうで「お先へ」と言う声がした。三四郎がただ「はあ」と答えたままで、敷居に尻を乗せて、団扇を使っていた。
いっそこのままで夜を明かしてしまおうかとも思った。けれども蚊がぶんぶん来る。

・・・中略・・・

 「失礼ですが、わたしは疳性(かんしょう)で人の蒲団に寝るのがいやだから・・・少し蚤よけのくふうをやるからごめんなさい」
三四郎はこんな事を言って、あらかじめ、敷いてある敷布の余っている端を女の寝ているほうへ向けてぐるぐる巻きだした。
そして蒲団の真ん中に白い長い仕切りをこしらえた。

・・・中略・・・

 夜はようよう明けた。顔を洗って膳に向った時、女はにこりと笑って、「ゆうべは蚤は出ませんでしたか」と聞いた。
三四郎は「ええ、ありがとう、おかげさまで」

・・・中略・・・

 勘定をして宿を出て、ステーションに着いた時、女は始めて関西線で四日市のほうへ行くのだという事を三四郎に話した。
三四郎の汽車はまもなく来た。時間の都合で女は少し待ち合わせる事となった。改札場のきわまで送って来た女は、
「いろいろごやっかいになりまして・・・ではごきげんよう」と丁寧にお辞儀をした。三四郎はただ一言「さよなら」と言った。

 女はその顔をじっとながめていた、が、やがて落ち付いた調子で、
「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」とにやりと笑った。

 三四郎はプラットホームの上へはじき出されたような心持ちがした。



 三四郎は読みましたがこんな一節は記憶に残ってない。
    何時の時代でも《据え膳は喰うものらしいね》

 

 


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