八橋山    無量寿寺     臨済宗妙心寺派

慶雲年間(704~8)に創建された慶雲寺が、弘仁三年(821)八橋のこの地に移され、無量寿寺となったと伝えられている。
この寺は、芭蕉や業平などとも関係があり史跡もある。
と言っても一番はやはりカキツバタですよね、杜若池を中心とし一の段から四の段まで生垣で区切られ、人の影を見ることなく杜若を眺めながら回れる回遊式庭園となっている。
この庭園は寺の再興者であった方巌売茶和尚が文政年間(1818~29)に以前より此処にあった池や庭を茶庭風に改造したものと思われる。


芭蕉は貞享元年(1684)に「野ざらし紀行」を終え翌年四月、鳴海の俳人下郷知足の家に泊ったときの作を、知足の子孫である学海が碑にしたと言われている。芭蕉は知足の案内でこの旧蹟八橋に遊んで懐古に耽ったのだろうかね。
  かきつばた 我に発句の おもいあり        芭蕉
  麦穂なみよる 潤ひの里                知足
(この和歌は、上の句の五・七・五を芭蕉が詠み、下の句の七・七を知足が詠んだ連句である。)
一方井戸のいわれ、は方巌売茶が紀州に赴いた折、紀伊大納言徳川冶宝公より「旧跡八橋を大切にせよ」とのお言葉を聞き、心字池に水を入れるための井戸を掘る予定でしたが病気で果たせず、嘉永二年(1849)八世朴仙和尚の代にようやく完成し心字池に水を入れたと伝えられている。

  芭蕉連句碑                    方巌(売茶)井戸のいわれ


亀甲碑は1742年に秋本嵎夷が、在原業平と八橋の故事について漢文でまとめたものです。
題は皇孫歌といって天皇の孫(平城天皇の孫)の歌という意味です。
その文を間違えずに読むと、亀が動き出すという言い伝えがあります、でも誰一人読めた人はいないんだって。
又業平竹は彼が住んだと伝えられる大和国石上在原寺に、業平竹、ひとむらすすき、つつ井筒などの伝説があり、この八橋も業平の関係により昔から植えられている。
この竹を男女(めおと)竹と称え、縁結びの竹として俗に信仰されているそうな。

   亀甲碑                         業平竹






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この記事へのコメント
鮮やかな紫?群青色ですね(^^)
菖蒲かな?って思いましたらカキツバタでしたね。
これだけ群集していると圧巻です~!
Posted by ちょこレピ at 2008年05月14日 16:56
ちょこレビさん 久しぶりです。
いい色でしょう、青紫って。
一度ご覧になっては如何ですか。
Posted by 太閤錦 at 2008年05月14日 21:53
 

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