2007年09月06日

蕉風発祥之処

此処は貞享元年(1684)の冬芭蕉が当地の新進俳人岡田野水(やすい)・山本荷兮(かけい)・坪井杜国(とこく)・加藤重伍(じゅうご)と共に、芭蕉七部集の第一集「冬の日」の諸歌仙を興行した遺跡である。この「冬の日」こそ芭蕉が言葉の遊びでしかなかった俳諧を、初めて芸術の領域まで向上させたと言われた句集で、この歌仙を興行した場所を「蕉風発祥の地」と呼んでいる。
その場所は「宮町筋久屋町西へ入る南側」と伝えられている。現在のテレビ塔の東北の脚のすぐ北、芝生になっている当たりかと思われる。



その他
芭蕉・荷兮決別之処     中川区烏森町佐屋街道並木道
この地の門葉たちの不満を宥めるため立ち寄ったが、それも徒労に近く不本意のまま郷国へ旅立った、と言われています。
今では名残の並木の松も残り少なく、在りし日を偲ぶよすがは何処にもない。

芭蕉療養の処址   中区錦二丁目(島田町)
何でも持病がさし起こったので、養生のため島田町土井三郎兵衛の借家で、麓杏伯という医者の所で療養した。

等名古屋での芭蕉の記録が残っている。

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