2007年07月25日

名古屋弁経典の寺

         青大悲寺         熱田区旗屋町

 宝暦六年(1756)この地に生まれたきの女は、享和二年(1802)に如来宗を開いた。
尾張藩士や富商等にも尊信する人も多く、その説法の速記録は「御経様」と呼ばれ、名古屋弁そのままの語り方が特異な経典である。

 きの女は文政九年(1826)七十一歳をもって遷化したが、一時は第十二代将軍を始め、大奥や大名など、江戸・川越地方にも信者が増加した。
 明治末期以降も全国に伝達行脚すると同時に、社会事業にも尽力している。

 また鉄地蔵堂には、文政十二年(1829)に所有した、等身大の鋳鉄地蔵菩薩立像一体があり応永三十三年(1425)と推定される陽鋳銘がある、この銘文から室町時代の作であることが分かった。




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この記事へのコメント
トラックバック ありがとうございました。

少し前に白鳥公園へ散歩に出かけましたが、そのすぐ近くなのですね。
名古屋弁の経典 一度見てみたいですね。
Posted by ぢぢばば at 2007年07月25日 14:27
 どういたしまして。

 そうですね、その頃の名古屋弁って興味ありますね。
Posted by 太閤錦 at 2007年07月25日 19:25
 

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